ロマンスのある毎日

アラフィフからノマドを目指す保護猫2匹とママンのシンプルライフ

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私の詳細プロフィールです。
長くなりますが、今日に至るまでをご紹介いたします。

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私は、神戸で生まれ、東京に引っ越し公立の小学校に入学しました。
その後、父の仕事の関係で小学校1年生の2学期から3年生の1学期までエジプト、そこから小学校4年生の1学期まで、バーレーンに住んでいました。

そこから小学校4年生の1学期まで、バーレーンに住んでいました。

兄弟はおりません、一人っ子です。


今でこそ、中東はサッカーやF1や宗教戦争などで誰でも知っているようになりましたが、当時は情報も少なく、日本とは全く異なる文化の中で、日本人学校とアメリカンスクールに通いました。

今から思うと大変貴重なことだったと思います。

さて、やっと日本に帰国がきまり、4年生の2学期に東京の公立の小学校に転入しました。ここまでで、エジプト、バーレーン、東京と、3回も転校していて、毎回悩まされたのが、

クラスにうまく馴染めるかどうかでした。

やはり、最初はうまく馴染めず、いじめられる事もありました。
担任の先生にも、いじめられている事を相談しましたが、


「我慢しなさい」の一言。

私には味方がいない、私の事を誰もわかってくれる人はいないのだと

決めつけておりました。

母には心配をかけたくなかったので、私が悩んでいる事は親にも言わず、我慢する日が続いていました。

ある日、母に誘われてあちこちの私立小学校を見学に行きました。

いじめられて悩んでいた事を見透かされていたのかと思いましたが、母の思惑は別のところにありました。海外に住んでいる時に、お母さん同士で「帰国子女枠がある大学までの一貫校私立に編入する話」が話題になったそうです。

私は大手塾に通って受験するようなタイプではないと母なりに感じ、受け入れのタイミングが合えば、入学させたいと考えていたようです。

そこから、母は「受験」というと、私がプレッシャーになると思い、何も言わずに、私の勉強を細かくチェックするようになりました。

私は鈍感なので全く気がつかなかったのですが、後々あぁそういうことだったのかと気づきました。

そして、受験をして無事に合格。


5年生から、帰国子女枠のある私立に編入しました。

(これで転校4回、通算5校目の小学校です)

学校は大学まである一貫校なので、受験をする必要はありませんでした。

同じ帰国子女のクラスといってもほとんどが欧米からで中東は私だけ。

やっぱり、公立に転入したときと同じ、

「どこそれ?」という感じでここでも孤独感を感じることがありましたが、いじめは特にありませんでした。

中学高校時代

 

中学高校はそのまま進み、部活でバレーボール部に入部し
中学3年生の時と、高校3年の時は副主将を務めました。


特別強豪校というわけではありませんでしたが、
ピアノやフルートなど何の習い事をしても続かなかった私が、
中高6年間一つの事を続けながら一通りの学生生活を送ることができました。

当時はそれでも楽しかったのかもしれませんが、今振り返ってみると、心底楽しかったかというと、何かしら空虚感がありました。

この「何かしらの空虚感」は高校卒業までに見つけることは出来ませんでした。

なんとかそこそこの成績で大学に進学でき、中学から続けていたバレーボールを大学の体育会でもやることになりました。

付属校なだけに、知っている先輩も多くて、自動的に入部したような感じでした。

大学4年のとき、バブル崩壊により、就職氷河期でコネがあったところも倍率が高く不採用。

やっと決まったアパレルメーカーで販売職につきました。

新卒社会人時代

アパレルメーカーに入社して、最初は本社で洋服の基礎(タグをつけたり、採寸方法やコンセプトを学んだり)を学び、その後百貨店に配属されまし た。

販売職のお仕事は、いつお客様がいらっしゃるのか、という緊張感がありますが、一期一会からご常連になられる方がいらしたり、商品が売れたりしたときの嬉しさは何ものにも代え難かったです。

ただ、お休みが不定期な上に、たちっぱなし。

職場が、女性が多い、または女性だけという環境にいらしたことがある方だったらお分かりになるかと思いますが、行動を事細かく チェックされて、陰湿なことがありました。

女性ならではの職場だなぁと感じながら1年がたったころ、
常にパンプスを履き続ける影響から膝と腰にダメージがおこり、転職を考えるようになりました。

両親に相談しましたが、「終身雇用が当たり前」という保守的な考えの持ち主でしたので、転職には背景も聞かずに頭ごなしに「NO」を突き付けられました。

さすがに、私も頭にきますね。無意識に対抗心に火がつきました。

 

続く

今の私が在るのは、親族をはじめ、今まで、 ほんのひと時でも関わって下さった(下さっている)皆さんのおかげです。 ありがとうございます。