ロマンスのある毎日

アラフィフからノマドを目指す保護猫2匹とママンのシンプルライフ

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父の生き方への憧れ

転職活動をして、化学品メーカーに事務職として入社し、
やっと確実に週休2日が取れて、安定した生活を得た直後、父のガンが発覚。


母と二人で看病しながら通勤する日々が続きました。

1年間の治療もむなしく、父は他界します。

父は55歳という若さでしたが、仕事に邁進し、
好きなこと(タバコ、お酒、ゴルフ、麻雀などなど)を思いっきりやって


内容濃く生きて風のごとく消えていきました。

そんな生き方もあるのか・・・とうらやましくなりました。

自分の好きなことを仕事にするというのは、ここがきっかけかもしれないと気づいたとき、
高校卒業まで見つけられなかった空虚感が少し軽くなりました。

中東にいた時に培った英語が好きでしたので、英語を使って仕事がしたい!と思ってIT企業に契約社員として転職。

 

今までの業界とは異色で、パソコンのキーボードをカタカタとたたく音しか聞こえない、男性ばかりの大学の理工学部の延長のような 部署でプロジェクトアシスタントをしていました。

製品の開発部隊の人たちは、大学で学んできたことを仕事に生かしていて、羨ましくなり、そんな人たちと仕事をしているのが嬉しく なり、5年間、深夜残業もいとわず体がボロボロになりながら仕事をしました。

その後、契約終了と同時に退職。

同じような仕事をしようかと思いましたが、体があまりにもボロボロになっていたため、派遣社員と して別のIT企業で、部長秘書兼グループのアシスタントになりました。

部長のリクエスト、メンバーからのリクエストを聞き、秘書同士の人間関係と、気遣うことが多い仕事です。

気遣いが気苦労にかわり、いつしかストレス過多になっていました。

ある日、友人に愚痴を聞いてもらったとき、彼女が通っているアロマサロンを薦めてくれました。

友人は、そのサロンに行って癒されたそうなので、早速私も行ってみました。

ここからアロマへの道へ・・。

アロマテラピーの世界に触れる

友人の紹介でサロンに伺い、トリートメントが始まるとき、セラピストさんが私の体を触れた瞬間、ストレスの原因を言い当てられ、さらに、私の手をみて

「あなたはセラピストに向いてるから、やってみませんか?」といわれました。

私の手から何を感じ取ったのかは、わかりません。

自分としては手が大きいことくらいです。

当時、私は秘書としてがんばろうと思っている一方で、一生事務職を続けていくのは厳しいかもしれないとも思ってました。

といいますのも、セラピストさんに

「かなりストレスがたまっている、自分を殺して仕事をすることが幸せ?」

と聞かれたからです。

確かに、父のように好きな事をしていこうと思ったのに、実際はストレス過多になっていて、思いとはかなり乖離していました。

私にセラピストになる事を薦めてくださったセラピストさんに対して、当初、「この人は何を言ってるんだろう?」という感じでしたが、サロンに伺う度にセラピストになる事を薦められ、学校も紹介してくれました。

ここまでしてくださると、「この人、本気で言ってくださってるんだ!」と思い、学校の説明会に行くことにしました。

自分を見ていて下さる方は必ずいるんですね。

ご紹介いただいたセラピスト養成学校の説明会にて、

フランキンセンスの精油を嗅いだのですが、
この香りが徐々に私に影響を及ぼし、

校長先生との入学面談でお話しているときに、突然
ブワーーーーと涙がでて泣いてしまったのです。


フランキンセンスは、ストレスリリース・精神の解放を助ける働きがあります。

私は、自分が思っていた以上に相当ストレスがあり、
そして、今考えれば、実はOLも向いてないのに、なぜか固執していたのですね。

精油の威力に驚きつつも、校長先生とお話をして面白そうだなと思い、吉祥寺アロマテラピースクール・セリストに入学。

同期生にも恵まれて、1年間、土日の朝から晩まで内容濃く学びました。

----ちょっと余談---

派遣社員のメリット・デメリットを体験

私は、会社の組織変更に左右されず「自分の能力を活かす仕事をし、それに値する対価を得る」というのが明快で良いと考えて、派遣社員になりました。

ただ、デメリットもあります。

派遣先は全部外資系でした。
日系企業でもあるのかもしれませんが、外資は業績によって人員削減をせざるを得なくなり、真っ先に切られるのは、派遣社員です。

私も、人員削減で契約終了になったことがあります。

社員を簡単にクビにすることはできないけれど、派遣は容易に切る事ができる。
だから、「派遣社員は切られない様に、無理にでも仕事を引き受けるだろう。」という、企業側の思惑がミエミエでした。

他の派遣先では、モラルハラスメントを受けました。

派遣社員の待遇・地位向上の為にも、泣き寝入りせず派遣会社を通じて、謝罪させたこともあります。

派遣社員はロボットではありません。

派遣社員を採用する企業は、派遣社員の扱いに対する人事教育やコンプライアンスを徹底するべきでしょうね。

・・・ちょっと逸れましたが、

仕事では、外国人を担当する秘書として従事しましたが、残業の多さと、英語が話せるということで、何人もの外人を担当させようとする派遣先の方の思惑と私の担当キャパに開きがありました。

さらに、残業も20時間以上は申告するなという、
無茶な方針に反発し(外国人を担当していた秘書はみんな反発!)
7ヶ月で契約終了させていただきました。

仕事を辞めるということは確実に得られる収入がなくなるということですが、なぜか不安はありませんでした。

学校が充実していたからでしょうね。

その後、別の派遣先が見つかり引き続き仕事をしながら、学校に通い、実技、筆記に合格。

カルテ審査を経て、無事に日本アロマ環境協会認定のアロマセラピストになりました。

ここからアロマセラピストデビューとなります。

続く・・・

無謀とも言える私のフリーランス生活

2009年12月、なんのマーケティングもせず、派遣契約終了と同時に自宅でアロマサロンを開業。

今思えば、無謀と言えるでしょうね。

私の周りにフリーランスは誰一人いませんでしたので、いろいろ調べて、
最初はモニターから集め、ホームページとツイッターで集客をしました。

ケモノ道を耕し、舗装道路にかえていく地道な作業です。


SNSでセラピストの講習があったら参加して人脈を作り、

先輩たちからアドバイスをもらい、徐々に地元の方にも知っていただけるようになり、お客様がくるようになりました。

軌道に乗るというほどではありませんでしたが、フリーランスで好きな仕事をする、ということに楽しみを感じ始めていました。

また、アロマボランティアとして介護施設に行くなどして、人とどのように接していけばいいのか、技術を腕を磨くノウハウなどを学びました。

独立開業して、順調に来ているかなと思いながら1年たった頃、ファッション雑誌掲載のお話をいただきました。

2011年の5月掲載予定でお願いをしていた直後、どうも鼻の調子が悪くなりました。

耳鼻科で診ていただいたら、アロマテラピーで使う精油(エッセンシャルオイル)に反応して、炎症をおこしているのではないか、との疑いが出ました。

「このまま四六時中使い続けていると炎症が悪化する」というショックな診断を受け、このまま廃業になったときのことを考え、やっと縁を切ったはずの派遣会社に再び連絡し、事務職として従事しながらサロンを続けるというスタイルに切り替えました。

震災とボランティア

その直後、3月に東日本大震災が起こり、サロンの経営が危ぶまれました。

あの当時は先輩セラピストですら、「廃業を考えた」というくらい、予約が入らなくなり、先輩がそこまで思うくらいなら、私なんてつぶれて当たり前だと思っていました。


しかし、震災による精神的緊張から寝られない方が出てくるなど、予約がぽつりぽつりと入り、幸いにもサロンを続けることができました。


その間、ブログでつながった方達と、被災地へアロマボランティアに行きませんかというお誘いをいただき、5月と7月に訪問しました。


報道と違う現実に驚いたり、現地の方達の温かいお心遣いにこちらが恐縮してしまったり・・・。

そんなギャップを感じながら、被災者の方のトリートメントに携わりました。

ボランティアから得た経験はとてつもなく、大きな宝物となりました。

サロン移転と結婚

ボランティアから得た経験を活かしつつ、実家でサロン活動をしていましたが、ちょっと手狭になったのと、実家が駅から遠く、夜遅くの対応が難しいので、

2012年、神楽坂に自宅兼サロンを引っ越しました。

平日は派遣OLとして働き、週末は自宅サロンとして、セラピスト仲間で集まって技術交換会をしたり、ボランティアに行ったりしながら、活動をつづけていました。

その後、

2012年に主人と出会って半年、交際5ヶ月、40歳で結婚。
(詳しくは、「40歳で結婚シリーズ」 をご覧下さい。)


2013年、新居&サロンを武蔵野市に移転。


結婚を機にOLをやめて、アロマセラピストと専業主婦をしておりました。

再び派遣OLに戻るまでの半年間、新居を武蔵野市に移し、サロン用の部屋を主人に用意してもらいましたが、今まで住んでいた神楽坂と武蔵野市では、住民の年齢層や家族構成に違いがあります。

神楽坂は、一人暮らしの方が多く、最近でこそ分譲マンションが沢山出来て、
若い核家族が増えつつありますが、まだまだ「商業・観光のまち」です。

一方、

武蔵野市は、「住みたい町NO.1」に選ばれ、ファミリー層や富裕層が多いなど、典型的な住宅街です。


一から集客し直しが必要と感じました。

子供がいれば、ママ友を通じて地元コミュニティーをすんなりと作ることもできたでしょうが、実際は、周りに知り合いはおらず、お客様からの予約を待ちつつ、専業主婦をする日々・・・。

気づけば、外に一歩も出ない日もあったりして外界から切り離されたような気持ちになりました。

それでも、少しずつですが、

2009年に荻窪の実家でサロンを始めてから、神楽坂に移転後も様々な働く女性の方にお越し頂き、おかげさまで 「手が温かくて、丁寧で安心」

「溜め込んでしまった疲れが吹っ飛び、顔の血行がよくなって頭もすっきりしました」

「生理不順だったけれど、トリートメントを受けた翌日に生理が来ました!」

「低体温症気味なので漢方を飲んでいるのですが、次の日は起きてからすぐ身体がぽかぽかしていました」

とご好評を頂いてまいりました。

 

そして、2014年8月より三鷹にリニューアルオープンし、 荻窪・神楽坂時代のお客様がリピートして下さるほか、武蔵野・三鷹周辺のお客様にもご好評いただいております。

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今の私が在るのは、親族をはじめ、今まで、 ほんのひと時でも関わって下さった(下さっている)皆さんのおかげです。 ありがとうございます。