ロマンスのある毎日

アラフィフからノマドを目指す保護猫2匹とママンのシンプルライフ

新しいエリアをジョギングデビュー

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サロン周辺を軽くジョギングしました。
朝10時って…遅すぎだけど。


緩やかなアップダウンで更にマスクしてるから、肺活量鍛えられるし、ジョギングでもウォーキングでも結構いい感じに汗をかけそう♪
これから徐々に距離を延ばそうと思います。
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運動後45分以内は
プロテイン摂取のゴールデンタイム!
ヴィーガンのソイプロテイン、抹茶味。
これ、豆くささがなくて飲みやすいです。
おススメ!
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#朝散歩
#朝散歩でセロトニン活性
#セロトニンを増やそう
#ジョギング
#ウォーキング

簡単プロフィール

このブログの持ち主はどんな人?


ドルチェディアロマ ホリスティック・キュア
オーナーセラピスト


副腎疲労・ストレスマネジメントを専門に、
働く女性の心と体のバランスを
よもぎ蒸しとボディトリートメント 、
アロマコーチングセッションでサポートしています。

 

私のプロフィールと、このお仕事をするきっかけにつきまして
簡単にお話させて頂きます。 

 

幼少期、父の仕事の関係で中東で過ごし、
転校が多くて上手くクラスに馴染めず、お友達も少なくて
なかなか自分の居場所を作る事ができませんでした。

どこにいっても馴染めない感覚・・

そういうのが芽生えたのがこの頃です。

中学高校も、部活をやったりして心底楽しんでいる様に思えて、
なんか違うな・・なんかしっくり来ないな・・という馴染めない、

居場所が違うような、なにかしらの空虚感がありました。

社会人になり、私が26歳の時、父が55歳という若さで他界。

父は、仕事に邁進し、好きなこと(タバコ、お酒、ゴルフ、麻雀などなど)を思いっきりやって内容濃く生きて風のごとく消えていきました。

父の生き方をみて、会社という組織の中にいたのに、
こんなに自由に生きていいのかと、うらやましくなると同時に
私も自由に自分の好きなことを仕事にしたい!という思いが湧いて来ました。

その思いは、父の生き方がきっかけかもしれないと気づいたとき、高校卒業まで見つけられなかった空虚感が少し軽くなりました。


好きなことを仕事にする=自分の居場所

そう思えたからです。


新卒で入った企業から、自分が活かせるスキルを活かして、IT企業に転職。
プロジェクトアシスタント、秘書に従事しましたが、いつのまにか職場の人間関係が原因と思われるストレス過多になり、友人に紹介してもらったアロマサロンで、初めてアロマテラピーに出会いました。

アロマサロンで、私の心理状態を指摘されると同時に、セラピストになる事を薦められアロマセラピストの養成学校の説明会に参加。

そこで、フランキンセンスの精油を嗅いで、

ぼろぼろと、泣いてしまいました。

この精油には

「無理をしていたこと・我慢していたこと・誰にも言えない閉ざしていた心」を
開放する威力があると知りました。


この威力のスゴさをもっと知りたいと思い
吉祥寺アロマテラピースクール・セリストに入学。

平日はOL、週末は学校に通い、

2009年にAEAJ認定アロマセラピスト資格取得後に、サロンを開業。

 

自分の居場所をみつけた!と感じました。

 

アロマセラピストとして、サロンワークや高齢者施設、

東日本大震災のボランティアに参加して活動。


40歳の時に結婚する気などサラッサラなく、
特別、自分磨きなどもしてこなかったのに主人と出会い、


半年後に結婚。

 

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ワーカホリックだった生活から、生活と仕事のバランスを重視するようになり
サロンを始めて7年目にして、やっと自分のベストなリズムと居場所を作る事ができました。

その後、

エフェクティブタッチ(R)ボディ–トリートメント習得。
エフェクティブタッチ(R)ボディベーシックインストラクター
エフェクティブタッチ(R)認定上級インストラクターのディプロマを取得。

 

2015年から2018年まで
エフェクティブタッチ(R)上級インストラクターとして、

神楽坂校や出張個人レッスンにて、セラピストの養成に携わりました。

 

 

2021 年現在

  • 結婚したいけど、なかなか出会いがない
  • どのように行動すればよいかわからない
  • 仕事とプライベートの両立を図りたい


など、
アラフォー独身女性向けに
西洋占星術・アロマテラピー・骨格からみる基本的性格を融合させた

オリジナルセッション、

 

艶アップアロマセッション(西洋占星術+アロマテラピー)

星詠みセッション (西洋占星術だけ)

ルーンカードセッション (ルーンカードだけ)

毎週水曜日夜22時半からTwitter Spaceにて開催している

「ざっくり星詠み カード1枚引き」

 

を開催しています。

 

 

 

さらに、ご紹介制サロンとして、

住居・職場などの環境変化や
人間関係からくるストレスで体に不調を感じる女性

  • 激務で睡眠不足
  • 医者に行くほどでも無いけれど、
  • なんとなくだるい
  • 朝起きられない
  • 物忘れがひどい
  • 更年期・・?とも違う気がする

など

副腎からくる疲労を感じる女性に
お客様に合わせた、よもぎ・ハーブ蒸しと、

「一度の施術なのに立った時の感覚が変わってる!」とご体感いただける、

なでるような優しいタッチ(エフェクティブタッチ(R))をベースに、
心と体を温かく巡らせるアロマトリートメント

をご提供しています。

 

 

 

 

どうぞ宜しくお願い致します。

 

詳細プロフィールはこちらから。

 

 


保有資格:

AEAJ認定アロマセラピスト

AEAJ認定アロマテラピーアドバイザー

AEAJ認定インストラクター

NARD JAPAN 認定アロマテラピーアドバイザー

エフェクティブタッチ®️認定上級インストラクター

 

 

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エフェクティブタッチ(R)との出会い

私は元々腰痛持ちなのですが、それをかばうようにして、自分なりにトリートメントを工夫してきました。

が、実はそれが逆効果になっていて、2時間のトリートメントに耐えられなくなっていました。

なんとかいい方法はないかと、ネットで探していたとき、エフェクティブタッチ(R)を見つけました。


このタッチは、アロマテラピー界では重鎮のケイ武居先生と、小澤智子先生が監修しているタッチング(トリートメント手技)です。

縮んだ筋肉にアプローチをすれば、強いマッサージをしなくても、解剖生理学に基づいた優しくなでるようなタッチングでも、人の体はかわっていくというものです。

体験会に参加して、目からうろこが落ちる施術法であったため、8月からのクラスに入学することにしました。

徹底的に姿勢や、力の掛け方などをチェックされるおかげで腰に負担のかからない技術を身につけることができるので、思い切って、入学し、半年間通いました。

その間、学費を稼ぐことと、腰痛の悪化からサロン活動が出来なくなった時を考えて、改めて派遣で仕事を探し、OLとアロマセラピスト+主婦の3足のわらじをはき始めました。

2013年末にエフェクティブタッチの試験と実技試験を受けて、年明けに合格したことをきっかけに、3足のわらじからアロマセラピストへの一本化に向けて、8月からサロンを再開することになりました。


エフェクティブタッチ(R)は体に負荷がなく、お客様には優しくなでるようなタッチングで、おからだのバランスを整え、セラピストにとっては体に負荷がかからないので、疲れにくいというメリットがあります。

今後、手技を教える機会があったら、
是非このエフェクティブタッチ(R)を教えたいと思って、

2015年、エフェクティブタッチ(R)ボディーベーシックインストラクターを取得し、時折、後進の指導を担当いたしました。

さらに、2017年1月に
エフェクティブタッチ(R)認定上級インストラクターを取得。
今後は、自宅サロン、並びに神楽坂のエフェクティブタッチスクールで
手技の他に、理論、ボディリーディングの指導をいたしました。

 

2021年現在

 

武蔵野市に移転して7年目、サロンを開業して11年目に入りました。

 

2020年12月に新宿区にサロンを移転。

 

私はアロマテラピーサロンを開業した時から、

働く女性を応援することをコンセプト

にして活動してきており、それは今でも変わることはありません。
私自身は、住んでいるところ、職場、労働などの環境に影響されたり、
人間関係からくるストレスで体に不調を感じてきました。

だからこそ、私と似たような経験をお持ちの方:

住居・職場などの環境変化や
人間関係からくるストレスで体に不調を感じる女性

  • 激務で睡眠不足
  • 医者に行くほどでも無いけれど、
  • なんとなくだるい
  • 朝起きられない
  • 物忘れがひどい
  • 更年期・・?とも違う気がする


など
副腎からくる疲労を感じる女性に

お客様に合わせた、よもぎ・ハーブ蒸しと、

「一度の施術なのに立った時の感覚が変わってる!」とご体感いただける、
なでるような優しいタッチ(エフェクティブタッチ(R))をベースにした
心と体を温かく巡らせるアロマトリートメント

 

 

  • 結婚したいけど、なかなか出会いがない
  • どのように行動すればよいかわからない
  • 仕事とプライベートの両立を図りたい


など、悩み多きアラフォー独身女性向けに


西洋占星術・アロマテラピー・骨格からみる基本的性格を融合させた
オリジナルセッション、結婚マインドを作る!艶アップアロマ
ご提供しております。


どうぞ宜しくお願い致します。


最後まで、長文をお読みいただきありがとうございました。

profile-2

父の生き方への憧れ

転職活動をして、化学品メーカーに事務職として入社し、
やっと確実に週休2日が取れて、安定した生活を得た直後、父のガンが発覚。


母と二人で看病しながら通勤する日々が続きました。

1年間の治療もむなしく、父は他界します。

父は55歳という若さでしたが、仕事に邁進し、
好きなこと(タバコ、お酒、ゴルフ、麻雀などなど)を思いっきりやって


内容濃く生きて風のごとく消えていきました。

そんな生き方もあるのか・・・とうらやましくなりました。

自分の好きなことを仕事にするというのは、ここがきっかけかもしれないと気づいたとき、
高校卒業まで見つけられなかった空虚感が少し軽くなりました。

中東にいた時に培った英語が好きでしたので、英語を使って仕事がしたい!と思ってIT企業に契約社員として転職。

 

今までの業界とは異色で、パソコンのキーボードをカタカタとたたく音しか聞こえない、男性ばかりの大学の理工学部の延長のような 部署でプロジェクトアシスタントをしていました。

製品の開発部隊の人たちは、大学で学んできたことを仕事に生かしていて、羨ましくなり、そんな人たちと仕事をしているのが嬉しく なり、5年間、深夜残業もいとわず体がボロボロになりながら仕事をしました。

その後、契約終了と同時に退職。

同じような仕事をしようかと思いましたが、体があまりにもボロボロになっていたため、派遣社員と して別のIT企業で、部長秘書兼グループのアシスタントになりました。

部長のリクエスト、メンバーからのリクエストを聞き、秘書同士の人間関係と、気遣うことが多い仕事です。

気遣いが気苦労にかわり、いつしかストレス過多になっていました。

ある日、友人に愚痴を聞いてもらったとき、彼女が通っているアロマサロンを薦めてくれました。

友人は、そのサロンに行って癒されたそうなので、早速私も行ってみました。

ここからアロマへの道へ・・。

アロマテラピーの世界に触れる

友人の紹介でサロンに伺い、トリートメントが始まるとき、セラピストさんが私の体を触れた瞬間、ストレスの原因を言い当てられ、さらに、私の手をみて

「あなたはセラピストに向いてるから、やってみませんか?」といわれました。

私の手から何を感じ取ったのかは、わかりません。

自分としては手が大きいことくらいです。

当時、私は秘書としてがんばろうと思っている一方で、一生事務職を続けていくのは厳しいかもしれないとも思ってました。

といいますのも、セラピストさんに

「かなりストレスがたまっている、自分を殺して仕事をすることが幸せ?」

と聞かれたからです。

確かに、父のように好きな事をしていこうと思ったのに、実際はストレス過多になっていて、思いとはかなり乖離していました。

私にセラピストになる事を薦めてくださったセラピストさんに対して、当初、「この人は何を言ってるんだろう?」という感じでしたが、サロンに伺う度にセラピストになる事を薦められ、学校も紹介してくれました。

ここまでしてくださると、「この人、本気で言ってくださってるんだ!」と思い、学校の説明会に行くことにしました。

自分を見ていて下さる方は必ずいるんですね。

ご紹介いただいたセラピスト養成学校の説明会にて、

フランキンセンスの精油を嗅いだのですが、
この香りが徐々に私に影響を及ぼし、

校長先生との入学面談でお話しているときに、突然
ブワーーーーと涙がでて泣いてしまったのです。


フランキンセンスは、ストレスリリース・精神の解放を助ける働きがあります。

私は、自分が思っていた以上に相当ストレスがあり、
そして、今考えれば、実はOLも向いてないのに、なぜか固執していたのですね。

精油の威力に驚きつつも、校長先生とお話をして面白そうだなと思い、吉祥寺アロマテラピースクール・セリストに入学。

同期生にも恵まれて、1年間、土日の朝から晩まで内容濃く学びました。

----ちょっと余談---

派遣社員のメリット・デメリットを体験

私は、会社の組織変更に左右されず「自分の能力を活かす仕事をし、それに値する対価を得る」というのが明快で良いと考えて、派遣社員になりました。

ただ、デメリットもあります。

派遣先は全部外資系でした。
日系企業でもあるのかもしれませんが、外資は業績によって人員削減をせざるを得なくなり、真っ先に切られるのは、派遣社員です。

私も、人員削減で契約終了になったことがあります。

社員を簡単にクビにすることはできないけれど、派遣は容易に切る事ができる。
だから、「派遣社員は切られない様に、無理にでも仕事を引き受けるだろう。」という、企業側の思惑がミエミエでした。

他の派遣先では、モラルハラスメントを受けました。

派遣社員の待遇・地位向上の為にも、泣き寝入りせず派遣会社を通じて、謝罪させたこともあります。

派遣社員はロボットではありません。

派遣社員を採用する企業は、派遣社員の扱いに対する人事教育やコンプライアンスを徹底するべきでしょうね。

・・・ちょっと逸れましたが、

仕事では、外国人を担当する秘書として従事しましたが、残業の多さと、英語が話せるということで、何人もの外人を担当させようとする派遣先の方の思惑と私の担当キャパに開きがありました。

さらに、残業も20時間以上は申告するなという、
無茶な方針に反発し(外国人を担当していた秘書はみんな反発!)
7ヶ月で契約終了させていただきました。

仕事を辞めるということは確実に得られる収入がなくなるということですが、なぜか不安はありませんでした。

学校が充実していたからでしょうね。

その後、別の派遣先が見つかり引き続き仕事をしながら、学校に通い、実技、筆記に合格。

カルテ審査を経て、無事に日本アロマ環境協会認定のアロマセラピストになりました。

ここからアロマセラピストデビューとなります。

続く・・・

無謀とも言える私のフリーランス生活

2009年12月、なんのマーケティングもせず、派遣契約終了と同時に自宅でアロマサロンを開業。

今思えば、無謀と言えるでしょうね。

私の周りにフリーランスは誰一人いませんでしたので、いろいろ調べて、
最初はモニターから集め、ホームページとツイッターで集客をしました。

ケモノ道を耕し、舗装道路にかえていく地道な作業です。


SNSでセラピストの講習があったら参加して人脈を作り、

先輩たちからアドバイスをもらい、徐々に地元の方にも知っていただけるようになり、お客様がくるようになりました。

軌道に乗るというほどではありませんでしたが、フリーランスで好きな仕事をする、ということに楽しみを感じ始めていました。

また、アロマボランティアとして介護施設に行くなどして、人とどのように接していけばいいのか、技術を腕を磨くノウハウなどを学びました。

独立開業して、順調に来ているかなと思いながら1年たった頃、ファッション雑誌掲載のお話をいただきました。

2011年の5月掲載予定でお願いをしていた直後、どうも鼻の調子が悪くなりました。

耳鼻科で診ていただいたら、アロマテラピーで使う精油(エッセンシャルオイル)に反応して、炎症をおこしているのではないか、との疑いが出ました。

「このまま四六時中使い続けていると炎症が悪化する」というショックな診断を受け、このまま廃業になったときのことを考え、やっと縁を切ったはずの派遣会社に再び連絡し、事務職として従事しながらサロンを続けるというスタイルに切り替えました。

震災とボランティア

その直後、3月に東日本大震災が起こり、サロンの経営が危ぶまれました。

あの当時は先輩セラピストですら、「廃業を考えた」というくらい、予約が入らなくなり、先輩がそこまで思うくらいなら、私なんてつぶれて当たり前だと思っていました。


しかし、震災による精神的緊張から寝られない方が出てくるなど、予約がぽつりぽつりと入り、幸いにもサロンを続けることができました。


その間、ブログでつながった方達と、被災地へアロマボランティアに行きませんかというお誘いをいただき、5月と7月に訪問しました。


報道と違う現実に驚いたり、現地の方達の温かいお心遣いにこちらが恐縮してしまったり・・・。

そんなギャップを感じながら、被災者の方のトリートメントに携わりました。

ボランティアから得た経験はとてつもなく、大きな宝物となりました。

サロン移転と結婚

ボランティアから得た経験を活かしつつ、実家でサロン活動をしていましたが、ちょっと手狭になったのと、実家が駅から遠く、夜遅くの対応が難しいので、

2012年、神楽坂に自宅兼サロンを引っ越しました。

平日は派遣OLとして働き、週末は自宅サロンとして、セラピスト仲間で集まって技術交換会をしたり、ボランティアに行ったりしながら、活動をつづけていました。

その後、

2012年に主人と出会って半年、交際5ヶ月、40歳で結婚。
(詳しくは、「40歳で結婚シリーズ」 をご覧下さい。)


2013年、新居&サロンを武蔵野市に移転。


結婚を機にOLをやめて、アロマセラピストと専業主婦をしておりました。

再び派遣OLに戻るまでの半年間、新居を武蔵野市に移し、サロン用の部屋を主人に用意してもらいましたが、今まで住んでいた神楽坂と武蔵野市では、住民の年齢層や家族構成に違いがあります。

神楽坂は、一人暮らしの方が多く、最近でこそ分譲マンションが沢山出来て、
若い核家族が増えつつありますが、まだまだ「商業・観光のまち」です。

一方、

武蔵野市は、「住みたい町NO.1」に選ばれ、ファミリー層や富裕層が多いなど、典型的な住宅街です。


一から集客し直しが必要と感じました。

子供がいれば、ママ友を通じて地元コミュニティーをすんなりと作ることもできたでしょうが、実際は、周りに知り合いはおらず、お客様からの予約を待ちつつ、専業主婦をする日々・・・。

気づけば、外に一歩も出ない日もあったりして外界から切り離されたような気持ちになりました。

それでも、少しずつですが、

2009年に荻窪の実家でサロンを始めてから、神楽坂に移転後も様々な働く女性の方にお越し頂き、おかげさまで 「手が温かくて、丁寧で安心」

「溜め込んでしまった疲れが吹っ飛び、顔の血行がよくなって頭もすっきりしました」

「生理不順だったけれど、トリートメントを受けた翌日に生理が来ました!」

「低体温症気味なので漢方を飲んでいるのですが、次の日は起きてからすぐ身体がぽかぽかしていました」

とご好評を頂いてまいりました。

 

そして、2014年8月より三鷹にリニューアルオープンし、 荻窪・神楽坂時代のお客様がリピートして下さるほか、武蔵野・三鷹周辺のお客様にもご好評いただいております。

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私の詳細プロフィールです。
長くなりますが、今日に至るまでをご紹介いたします。

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私は、神戸で生まれ、東京に引っ越し公立の小学校に入学しました。
その後、父の仕事の関係で小学校1年生の2学期から3年生の1学期までエジプト、そこから小学校4年生の1学期まで、バーレーンに住んでいました。

そこから小学校4年生の1学期まで、バーレーンに住んでいました。

兄弟はおりません、一人っ子です。


今でこそ、中東はサッカーやF1や宗教戦争などで誰でも知っているようになりましたが、当時は情報も少なく、日本とは全く異なる文化の中で、日本人学校とアメリカンスクールに通いました。

今から思うと大変貴重なことだったと思います。

さて、やっと日本に帰国がきまり、4年生の2学期に東京の公立の小学校に転入しました。ここまでで、エジプト、バーレーン、東京と、3回も転校していて、毎回悩まされたのが、

クラスにうまく馴染めるかどうかでした。

やはり、最初はうまく馴染めず、いじめられる事もありました。
担任の先生にも、いじめられている事を相談しましたが、


「我慢しなさい」の一言。

私には味方がいない、私の事を誰もわかってくれる人はいないのだと

決めつけておりました。

母には心配をかけたくなかったので、私が悩んでいる事は親にも言わず、我慢する日が続いていました。

ある日、母に誘われてあちこちの私立小学校を見学に行きました。

いじめられて悩んでいた事を見透かされていたのかと思いましたが、母の思惑は別のところにありました。海外に住んでいる時に、お母さん同士で「帰国子女枠がある大学までの一貫校私立に編入する話」が話題になったそうです。

私は大手塾に通って受験するようなタイプではないと母なりに感じ、受け入れのタイミングが合えば、入学させたいと考えていたようです。

そこから、母は「受験」というと、私がプレッシャーになると思い、何も言わずに、私の勉強を細かくチェックするようになりました。

私は鈍感なので全く気がつかなかったのですが、後々あぁそういうことだったのかと気づきました。

そして、受験をして無事に合格。


5年生から、帰国子女枠のある私立に編入しました。

(これで転校4回、通算5校目の小学校です)

学校は大学まである一貫校なので、受験をする必要はありませんでした。

同じ帰国子女のクラスといってもほとんどが欧米からで中東は私だけ。

やっぱり、公立に転入したときと同じ、

「どこそれ?」という感じでここでも孤独感を感じることがありましたが、いじめは特にありませんでした。

中学高校時代

 

中学高校はそのまま進み、部活でバレーボール部に入部し
中学3年生の時と、高校3年の時は副主将を務めました。


特別強豪校というわけではありませんでしたが、
ピアノやフルートなど何の習い事をしても続かなかった私が、
中高6年間一つの事を続けながら一通りの学生生活を送ることができました。

当時はそれでも楽しかったのかもしれませんが、今振り返ってみると、心底楽しかったかというと、何かしら空虚感がありました。

この「何かしらの空虚感」は高校卒業までに見つけることは出来ませんでした。

なんとかそこそこの成績で大学に進学でき、中学から続けていたバレーボールを大学の体育会でもやることになりました。

付属校なだけに、知っている先輩も多くて、自動的に入部したような感じでした。

大学4年のとき、バブル崩壊により、就職氷河期でコネがあったところも倍率が高く不採用。

やっと決まったアパレルメーカーで販売職につきました。

新卒社会人時代

アパレルメーカーに入社して、最初は本社で洋服の基礎(タグをつけたり、採寸方法やコンセプトを学んだり)を学び、その後百貨店に配属されまし た。

販売職のお仕事は、いつお客様がいらっしゃるのか、という緊張感がありますが、一期一会からご常連になられる方がいらしたり、商品が売れたりしたときの嬉しさは何ものにも代え難かったです。

ただ、お休みが不定期な上に、たちっぱなし。

職場が、女性が多い、または女性だけという環境にいらしたことがある方だったらお分かりになるかと思いますが、行動を事細かく チェックされて、陰湿なことがありました。

女性ならではの職場だなぁと感じながら1年がたったころ、
常にパンプスを履き続ける影響から膝と腰にダメージがおこり、転職を考えるようになりました。

両親に相談しましたが、「終身雇用が当たり前」という保守的な考えの持ち主でしたので、転職には背景も聞かずに頭ごなしに「NO」を突き付けられました。

さすがに、私も頭にきますね。無意識に対抗心に火がつきました。

 

続く

今の私が在るのは、親族をはじめ、今まで、 ほんのひと時でも関わって下さった(下さっている)皆さんのおかげです。 ありがとうございます。